2025/1/4 八ヶ岳 横岳西壁 中山尾根

メンバー:末吉、古川
1/3 20:00西船橋発。22:35八ヶ岳山荘着。気温は-5℃。道路上の雪は少ない。山荘の仮眠室は混雑している。2段ベットが沢山並んでいる。1段目は両側が壁になっておりプライバシーが守られているが、2段目は壁がなく隣の人が見える。私は2段目で就寝。早速、隣の人がいびきを奏でている。中々寝られない。
1/4 5:00起床。寝た気がしなかった。タイヤにチェーンを巻き5:30八ヶ岳山荘発。5:35 林道を1人で歩いている女性を発見。末吉さんが「乗せてあげようか」と言い女性に声をかける。美濃戸まで乗せてあげることに。流石の社交性と優しさである。この女性は赤岳鉱泉の診療所にボランティアで来たとのこと。ボランティアは12時からとのことで、その前に硫黄岳に登るらしい。5:45 美濃戸着。気温は-10°。先ほどの女性とはここで別れる。別れ際にお互いに「お気をつけて!」と声をかける。6:45 美濃戸発。北沢を経由して8:50 赤岳鉱泉着。快晴。気温は-15°。日が当たらない場所は寒い。テントを設営し、登攀の準備をする。10:50 赤岳鉱泉発。この時点で予定よりも2時間弱の遅れである。暗闇での下山にならないか心配になる。11:20 中山乗越着。取り付きまではトレースがあるが、後半は急登になりペースが落ちる。12:10 取り付き手前の雪稜で登攀の準備をする。雪稜の幅は狭く、人が1人立てる程度の幅。この時点で予定時刻よりも2時間以上の遅れである。雲も増えて日陰になる時間が多くなり寒い。おそらく気温は-17〜-18℃。このままでは登攀中に暗くなる恐れもあり危険である。不安が募る。上までは行かずに、1Pか2Pだけ登攀をして下山することに決めた。12:30 下部岩壁1P目の登攀を開始する。正規ルートは右側を少し下りたところにある凹角から登るが、正面から登ることとした。見た目以上に難しい。ホールドが雪で隠れており掴めるところが少ない。0.5のカムでA0して登る。登攀中に手指が冷えてくる。腕を上げている時間が長いからか。腕を下ろしたいが、そんな余裕はない。次第に指が痛くなるが、その内に感覚が乏しくなる。末吉さんに「指が痛い。凍傷になりそうです。下山したいです。」と伝える。1P目で終了とした。1P目の終了点から懸垂下降をして取り付きまで下りた。「明日はアイスクライミングがあるからまぁいいか」と話す。14:30 下山開始。下山中に指を確認すると先端の血色がやや悪い。指の感覚は鈍いが脱失はしていない。15:20 赤岳鉱泉着。末吉さんから診療所で診てもらったほうがいいとの助言があり、診療所に寄った。そこには、今朝、車に乗せたあげた女性がいた。まさか、お世話になってしまうとは。今朝、お互いに「お気をつけて!」と声をかけたのに。。ドラマチックな再会である。早速、医者に指を見てもらうと「少し指の色が悪いね。凍傷は時間が経ってから悪くなることもあるから早めに病院を受診したほうがいい。今から下山して専門の諏訪中央病院に行ったほうがいい。首都圏の病院では凍傷の治療の経験がないからできない。」と言われた。まさか今から下山と言われるとは思わなかった。明日はアイスクライミングをする気満々だったのに。下山するか悩む。医者は下山を推奨する。んー悩む。もうテントも設営してしまってるし、今から撤収して帰るのも億劫である。そんなときに凍傷の写真を見せられる。受傷当日は今の自分の指くらいの色だが数日後には真っ黒になっている指である。この写真を見せられて下山することに決めた。早速、紹介状を書いてもらう。テントを撤収して、17:00下山を開始する。18:15 美濃戸山荘着。荷物を下ろし、車内に荷物を積んでいると、ペツルのクォークが1本ないことに気づく。下山途中に落としてしまった。33000円が一瞬で消えた。唖然とする。新年早々、散々である。早速車に乗車。車で30分もかからずに諏訪中央病院に到着する。救急外来を受診して診てもらう。凍傷Ⅰ度と診断。お湯で指を温め、薬を処方される。悪化してきたら近くの皮膚科を受診してくださいと言われる。21:15病院を出発。道の駅に泊まる予定だったが、この時間であれば千葉まで帰れると思い、末吉さんに相談する。末吉さんは津田沼のカプセルホテルに連絡し空きがあることを確認。津田沼まで帰ることにした。道路は空いており、23:40津田沼着。色々と反省の残る山行となった。
2週間経った現在は指の感覚も戻り、無事に完治した。
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